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「歴史」
島原・天草一揆を越えて
かつて苓北町は、数百年にわたり天草の中心として栄えました。1205年からおよそ400年もの間、志岐氏が統治する時代が続き、
戦国時代末期には志岐麟泉が領主となって全盛期を迎えます。
その後、徳川時代には唐津藩によって支配され、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)頃に富岡城が築かれました。
寛永14年(1637年)「島原・天草一揆」で、富岡城は幕府側の拠点として一揆軍から攻撃を受けました。
必死の守りで落城を免れたことが、一揆の早期終結と後の徳川幕府の安定をもたらしたといわれています。
一揆後、山崎甲斐守家治の領地となり、築城の名手と謳われた山崎氏は大規模な修築および拡張を行い、現在見られる富岡城の形が完成しました。
山崎氏の後に天草は天領となり、初代代官・鈴木重成の時代を迎えます。後に再び私領となり戸田忠昌が城主となるものの、戸田氏の領地替えの際に富岡城は破城。
再び天領となって、天草の行政の中心となりました。
現在、富岡城の本丸跡に「熊本県富岡ビジターセンター」を開設。さらに櫓・高麗門・白塀等が復元され、当時の面影を偲ぶことができます。
平成26年には新たに長屋・東西角櫓を復元し、平成27年7月、長屋跡に「苓北町歴史資料館」がオープンしました。
富岡城・熊本県富岡ビジターセンター
雲仙天草国立公園の内容を紹介し、天草地域の魅力ある自然景観、歴史・文化、環境などについての情報を発信している。
問合せ 0969-35-0170
場所〒863-2507 熊本県天草郡苓北町富岡字本丸2245-15
営業時間午前9時~午後5時 ※最終入館は午後4時45分まで
休日水曜日(祝日の場合は翌日)
料金無料
苓北町歴史資料館
富岡城に関する歴史や、島原・天草一揆の解説や展示を行います。また、観光情報の提供や特産物の紹介も行っています。
問合せ 0969-35-0712
場所〒863-2507熊本県天草郡苓北町富岡字本丸2245-11
営業時間午前9時~午後5時 ※最終入館は午後4時30分まで
休日木曜日(祝日の場合は翌日)
料金
大人(高校生以上)…100円
小人(中学生以下)…無料
「文学」
文学に登場する苓北の町
歴史が静かに息づく苓北町には、多くの文豪たちが訪れています。海に落ちるタ陽を眺めながら、有名な「泊=天草洋-」を詠んだ幕末の儒学者・頼山陽。
富岡での一夜をテーマに「天草灘」 を記した林芙美子。文学碑には「旅に寝てのびのびと見る枕かな」という句が刻まれています。
明治40年(1907年)の夏、 与謝野鉄幹と北原白秋ら5人が東京から九州・天草に降り立ち、「五足の靴」の旅を始めたのも、この苓北でした。
旅の途中、白秋のふるさとである福岡の柳川に立ち寄り、長崎から暴風の荒海を、船で天草の富岡へ渡ります。
上陸後、天草西海岸沿いを旅しながら、紀行文を書きつづっています。
そして5人は大江天主堂で、"ぱぁてるさん"ことガルニエ神父に会い、秘蔵の「クルス」を見せてもらい、ついに旅の目的を果たしました。
この旅の思い出は、木下杢太郎の詩集「天草組」、北原白秋「邪宗門」などにも記されています。
天草四郎乗船の地
丘の上に眠るキリシタンたち
1637年11月、天草四郎を総大将とする一揆軍は、堅固な富岡城を攻め落せず、一揆勢は島原へ渡る為ここから乗船したという。
この碑は、 自然石を舟に、十字架を帆柱に見立ててデザインされている。
問合せ苓北町役場商工観光課 0969-35-1111
鈴木重成公供養碑
苓北の歴史にこの人あり。復興に尽力した領主を偲ぶ。
「島原・天草一揆」後に、天領となった天草の初代官で、天草の復興に努力した鈴木重成の功を顕彰するために、家臣達が建立したものだ。
町指定文化財
問合せ苓北町役場商工観光課・苓北町教育委員会 0969-35-1111
場所苓北町富岡字新富地内
天草回天之碑
故郷の歴史を次世代に伝える 今も町を見守る功労者たち。
天草の再興に尽力した鈴木重成、その補佐をした実兄・正三和尚や明治維新で活躍した勝海舟、江戸後期の儒学者・頼山陽に敬意を表し、富岡城二の丸に建立された。
問合せ苓北町役場商工観光課・苓北町教育委員会 0969-35-1111
場所苓北町富岡(富岡城跡内)
富岡吉利支丹供養碑(千人塚)
キリシタンの無念を弔う 悲しい歴史の軌跡を訪ねる。
正保4年(1647年)、鈴木重成の手によって「島原・天草一揆」で討ち死にしたキリシタン3,300人あまりもの首が葬られ、その供養碑を建てて霊を慰めたものだといわれている。
国(文部科学省)指定史跡
問合せ苓北町役場商工観光課・苓北町教育委員会 0969-35-1111
場所苓北町富岡字首塚地内
アダム荒川の殉教公園
信仰を胸に闘ったアダム荒川は人々の心を励まし続けた。
志岐教会からガルシア・ガルセス神父が追放され、代わりに教会を守っていたアダム荒川は、3ケ月にもわたる迫害にもめげず信仰を守りとおす態度をとり続けたため、斬首の刑に処されることとなった。
キリスト教の迫害で処刑されたアダム荒川を含む日本人殉教者188人を、2007年に ローマ法王ベネディクト十六世が栄誉ある「福者」に列することを正式に承認された。
問合せ苓北町役場商工観光課・苓北町教育委員会 0969-35-1111
場所苓北町富岡字中ノ浦
古戦場仏木坂
いにしえの戦場に立ち、武将たちの思いにふれる。
天正17年(1589年)小西行長、加藤清正らが志岐城を攻めたとき、本戸城の客将・木山弾正らがそれを迎え撃った戦いの場に、碑が建てられている。
問合せ苓北町役場商工観光課・苓北町教育委員会 0969-35-1111
場所苓北町志岐字黒染(広域農道)
鎮道寺
勝海舟が訪れた印が残る落書きに思いを込めて。
幕末から明治に活躍した勝海舟は、鎮道寺を2度にわたって訪れ、本堂の柱に落書きしたものが、今もそのままに残されている。境内には勝海舟宿泊記念碑がある。
「頼まれぬ世をば、経れども契りあれば、再びここに月をみるかな」と落書きが残る。
問合せ0969-35-0045
場所苓北町富岡2452
営業時間8:30~17:00 ※見学所要時間約30分、落書き見学は要予約
料金無料
国照寺
天草の歴史を見守ってきた古剰の庭園に癒されよう。
鈴木重成がキリシタン禁圧のために創建した天草四ケ本寺のひとつ。国照寺には町指定文化財の「禅庭園」と「一佛二十五菩薩」がある。
町指定文化財
問合せ0969-35-0164
場所苓北町志岐字志国1360-1
営業時間8:30~17:00 ※見学所要時間約30分
料金無料
志岐城跡
南蛮文化華やかなりし かつての盛栄を偲ぶ。
中世期に「天草五人衆」と謳われた志岐氏の居城跡。志岐麟泉は天草で初めてキリスト教を導入後、
1589年小西行長・加藤清正の連合軍に攻められた「天正の天草決戦」で敗れたとされる。
現在、志岐城跡公園を整備し健康づくりの場・憩いの場として利用できる。
町指定文化財
問合せ苓北町役場商工観光課・苓北町教育委員会 0969-35-1111
場所苓北町志岐字城ノ平